ScanSnap

カレー沢薫のなりゆきデジタル化ぐらし〜Vol. 3〜

digiup196-1-column.jpg

目次

    前回ScanSnapのセッティングを終え、使用感も大体わかった。

    本格的にペーパーレス化に挑んで行きたいところだが、私の周辺にある紙はアマゾソの空段ボールやパブロソの空箱など、ほとんどが紛うことなきゴミなので「保存すべき紙」を見つけ出すのが一苦労なのだ。

    アマゾソの段ボールも一度データ保存すれば安心して捨てる気になるかもしれないが、いきなり段ボールを飲ませて破壊という事態は避けたい。

    一応ScanSnapでスキャン可能な原稿の厚さを調べて見たところ通常で「40~209g/㎡」手差しで「256g/㎡」まで、という素人には全く理解できない厚さまでスキャン可能だと判明したが、無駄に厚いものに挑ませて壊す必要も特にない。

    契約書や証書など、大事な書類もあるが、こういうガチ重要書類はデータ化したから原本を捨てて良いというものではない。むしろデータ化後、元の位置に戻さずそのまま私の机に置かれてしまう恐れすらある。

    私の机に置く、というのは雨風に晒されるのと同義な上、有名な神隠しスポットでもあるので、運が良くて「風化」悪ければ「紛失」だ。

    そこで「データは残ってるっす」と言っても、相手は渋ヅラだろう、まだ取り返しがつかない書類に手を出す段階ではない。

    そもそも無駄に溜まって行く紙類とは重要書類のように、捨てたら確実に困るものではなく、「困るかもしれない」ものである。

    私のように、捨てても一切の後悔なく、純然なゴミに埋没しているタイプもいるが、この「かもしれない」から物が捨てられず、部屋を狭くしている人も多いだろう。

    「かもしれない」は「捨てたあと必要になるかもしれない」というのもあるが「後悔するかもしれない」というお気持ちの問題、つまり「思い出」により捨てられない物も含まれる。

    「思い出の紙類」と言えば、ノートに深夜書いたポエム、俺が考えた最強の異能力キャラ、に始まり、推しキャラの模写(「食らえ邪〇炎〇黒〇波!」の台詞つき)などもはやクリエイティビティすら失ったものまで多岐にわたるが、それこそ今すぐ邪王炎殺すべきものであり、データ化などとんでもない。

    むしろ「中学生の時にネットがなくて本当に良かった」が口癖の我々が、いまさらスネの疵をクラウド保存してどうするという話だ。

    このような、邪〇炎〇黒歴史ではない青春を送った者にとって「思い出の紙類」と言えば、多分「写真」一択だろう。

    現在、フィルムで写真を撮ったり、デジタルフォトをプリントアウトする人の方が珍しいとは思うが、デジカメが主流になりはじめたのもたった四半世紀前のことである。
    中高年であれば、昔の家族写真などは紙しかないのが当たり前なのだ。

    写真も劣化するし、突然失われてしまうこともある。そんな時のためにクラウド保存しておけば、例え家が全焼し、アルバムとパソコンが消失しても、思い出の写真のデータは残る。

    家が全焼した状態で「全裸の3歳の俺の写真が残っていて助かった」と思えるかどうかは別だが、失うものは少ないに越したことはない。

    後悔を気にするならば、紙を後生大事にするのではなく、データ化をした方が良いだろう。

    ただ多くの人が、紙の写真をデータ化しても、あくまでデータは「バックアップ」であり、原本の写真を捨てるということはないだろう。

    ただ、私に限って言えば、写真をデータ化したら原本は処分した方が良いのではないかと考えている。

    現在の家に越して来たのは10年ほど前であり、すでに写真もデジタル主流時代だ。もしかしたら屋根裏に知らない家族の写真を納めたアルバムがあるかもしれないが、私の知る限りではない。

    そもそも私は写真を撮る習慣が全くなく、iPhoneの写真フォルダもソシャゲのスクショしかなく、ましてわざわざ紙に印刷するということもない。

    つまり、我が家にスキャンするような紙の写真はない、と言いたいところだが、これが結構あるのだ。

    私は「父の劣化クローン」と呼ばれるぐらい、部屋の汚さ含め全てが父そっくりなのだが「記録癖」に関しては全く遺伝しなかった。

    父はビデオテープ、カセットテープなど、なんでも記録したがり、写真も例外ではない。
    ただ「記録したものを整理整頓しない」ため、実家はそれらで埋め尽くされ、他の家族の居住スペースが消失した。

    そんな父の姿を見て、私は過去の思い出や記録に埋もれるような人生を送るまいと決意し、現在のただのゴミに埋もれる生活を手にした、というわけでもないが、結果としてそうなっている。

    今も父の記録癖は健在であり、私が実家に帰る度に必ず「家族写真」を撮影し、それをその場でプリントアウトして私に持たせるのだが、何せ我が家にはアルバムがないし、そもそも私に「写真をアルバムに入れる」という丁寧な発想がない。

    その結果、家族写真は私のカバンに入れっぱなしとなり、私はカバンに家族写真を十数枚入れて持ち歩く、ある意味「家族命」な人になっている。

    データ化したからと言って、大事な家族写真を捨てるなんてとんでもない、と思うかもしれないが「大事な家族写真」というのは自分が大事にできていて初めて大事と言えるのだ。

    平素粗末に扱っておいて「大事なものだから捨てられない」と言う奴の「大事」は言い訳でしかない。

    大事にできないなら、捨てるのではなく「自分には持つ資格がないから手放す」と考えることも大事なのだ。

    カレー沢「私と夫の錫婚を祝った時と思われる写真、76は父親の年齢、父の自我が強すぎる」

    現在、大事な家族写真は私のカバンのサイドポケットに十数枚が重ねられた状態であり、このままだと接着、256g/㎡(※)を超える1枚の写真と化し、ScanSnapでもスキャン不可能になるだろう。

    ※256g/㎡は約0.3mmです

    そうなる前にデータ化して、写真はカバンの中で朽ちさせるよりお焚き上げた方がよいだろう。

    早速、ScanSnapでスキャンしたところ、データは自動で「写真」と判断され無事Googleのphotoフォルダに収納された。書類と混ざらないだけ助かる。

    そして私は原本の写真をおもむろに、カバンのサイドポケットに戻した。
    ゴミですら捨てられない人間がそうそう写真を捨てられるとは思わないでほしい。

    大事な家族写真です。大事なんです。たとえカバンの中でくっつこうとも足元にあったとしても
    ScanSnap_iX1600

    ScanSnap iX1600

    毎分40枚・80面の両面高速読み取りを実現し、簡単操作のタッチパネルを搭載。Wi-Fiの5GHzに対応し、原稿サイズ、色や両面・片面を自動的に判別。 驚くほど簡単、スピーディーに電子化します。

    この記事を書いた人

    漫画家・コラムニスト カレー沢薫

        x

    元気な漫画家、まだまだ成長中。文章をかきます。

    karezawakaoru